心になにかが起こっているときに脳でなにが起こっているのか。これについては近年脳科学が大きな成果をもたらしています。
しかし科学だけでは答えの出せそうもない哲学的な問題も存在します。そもそも心と脳の関係をどう考えればいいのか。
心は脳の働きによって別個に生じるものなのか、それとも脳そのもののことなのか。
それ以前に、他のものにはなさそうに思える「心」が、どうして脳だけに伴わなければならないのか。など
嬉しい、悲しい、感情が湧き上がるときの脳の動きは説明出来るようになってきました。しかし、脳の仕組みは解明されてきても、意識がどのように存在するかはまだわかりません。
心とは何なの?脳と関係がありそうだけど、どうなの?というのが「心脳問題」ですね。
脳の電気、科学的な動きの解析のように、科学の進歩などで追々解決されていく問題を「イージー・プロブレム」。「心脳問題」は脳の物理的な現象からどうやって意識が生まれるかということで、「ハード・プロブレム」というらしい。
なぜ脳内活動の過程に内面的な経験(クオリア)、つまり心が伴うのかという問題。
科学が世界を自然法則によって説明できるようになるほど、その自然法則では説明されない「端的な前提」が可視的になってきてしまう。
日常生活で、心と脳は作用し合うように感じます。でも脳は物質、心は物質ではない。物質と非物質の相互作用とはどのように理解すればいいのか。
・心と脳は相互作用しないと考えてみる
・心とは脳そのものと考えてみる
・逆に心だけが存在すると考えてみる
・心も脳も同じ一つのものの異なった見え方だと考えてみる
それぞれ別の問題点が生じたり、ある部分を避けることになり、考えるほどに堂々巡りしてしまう。
それぞれ二元論(相互作用説、平行説、随伴説)、唯物論(物理主義的、創発主義的)、唯心論、同一説というらしいです。
二元論 人間=物+心
唯物論 人間=物
唯心論 人間=心
同一説 人間=物=心
筆者は話を単純にしてしまったが、上記先人の考えを元に自らが思考してみて欲しいとのこと。
うーん、哲学っぽくなってきてしまった。
心脳問題は、元をただせば「人間とはなにか?」という関心から生じています。哲学の本を眺めてもイメージしにくいですが、こっちからのアプローチだとまだ多少はわかりやすい気がする…
意識とは何か。
科学では解明できない説。そのうち解明できるだろう説がある。
言語学の分野に例えれば、脳科学は脳の「統語論(言語の成り立ち、文法のようなもの)」であり、「意味論(記号や文字が表す意味を扱う)」ではない。
これに限らず、現時点で結論の出ない問題を考えても無駄だというのはあるけど、考えること自体が娯楽なので別にいいのでしょう。
また最近多い「脳がわかれば全てがわかる」という系統の本には、そろそろ「脳情報のリテラシー(読み解き方)」を身につけることが必要だとのこと。「男は何たら…女は何…」みたいな紋切り型のにはちょっと気をつけた方がいい。
そういうのは非常に面白いですけど、まあそうか。
二章の終わりにある長めのコラム、「脳研究小史」が面白いですね。
現代ではPETやfMRIによって、頭蓋骨を開けずに脳の活動を可視化できるようになりました。
かつては病気で亡くなった人の解剖などからの知見でしたが、ヒポクラテスから二千年を超える先人達の考え方を歴史的な観点でざっと振り返っています。
自分のためにも、挙げられている名前をメモさせてちょうだい。
ヒポクラテス(心の座=脳)
プラトン(心を分類)
アリストテレス(心の座=心臓)
ガレノス(実験で確認)
イブン・スィーナー(イスラームへ伝搬→ヨーロッパへ逆輸入)
モンディーノ(解剖学再開)
ダ・ヴィンチ(画家としての解剖図)
ヴェサリウス(近代解剖学の祖)
デカルト(心と脳の関係)
ガル(骨相学)
ブローカ、ウェルニッケ(病から脳の地図)
フィニアス・ゲージ(損傷と手術、カッコーの巣の上で-ロボトミー)
ブロードマン(顕微鏡で脳の地図)
ペンフィールド(電気刺激で脳の地図-「ホムンクルス」)
ゴルジ vs カハール(脳をミクロに可視化、ニューロン)
X線CT、MRI(脳の形を外側から可視化)
PET、fMRI(脳の働きを可視化)←いまここ
まあとにかく、人が何かしている時の脳の動きを観察できるようになり、飛躍的に脳科学の研究が進みました。
まだ固定してじっとしていないと観察できない状態ですが、そのうち動きながらモニター可能になれば、また新たな発見があるのでしょう。
私は途中まで読んだけど難しくなって来てリタイアしましたorz
やる気があるときにまた借りて再チャレンジしまソ。しばらく勉強本はやめて楽しい小説を読みますが。
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