嫌な労働は人生の無駄遣い、お金を稼ぐこと自体が時間の無駄遣いだと思う。なぜなら、あと一ヶ月で人生が終わると知ってもお金を稼ぎますか?
たしかにお金はあった方が安心だし色々な物に交換できる。
しかし生きる上で何が重要かと考えればお金は死なない程度にあればよく、目的もなくそれ以上集めるのは趣味でしかない。多くの人に明確な目的はなく、漠然とした不安のために将来に備えるというくらいでしょう。
1.貧乏暮らしでヒーヒーいいながらも好きなことをやる人
2.やりたくはないけど、安定して給料がもらえるサラリーマン(労働者)
3.起業、投資など自分の才覚で食べていける人
4.好きなことで食っていける人
4は例えば好きなことをやっていたら稼げるようになってしまったみたいなこと。(好きでサラリーマンをやっているならば4と同じよ)
しかしそれだって意にそぐわないことはあるでしょう。漫画家だって立場が弱いうちは描きたいように描けるわけじゃない。余裕でやりたいことだけをやっていられる状況にあるのは特別な人だけ。
一生食べていけるような資産を受け継ぐ人は別ですが、私は生きていくには2の選択肢しかないと思っていました。
そして人生の半分をサラリーマンとして過ごしてしまいました。
でも才能を持たない者が生活する為にサラリーマンを選ぶのは仕方ないです。誰もが起業したり、何かを創り出せたりするわけじゃないですし。
心の奥底では本当は別に何かやりたいことがあったのでは?
ただやりたいことだけでは実際問題として生活していけないし、役に立たない理想的なことばかり書くのも申し訳ない。私にはどうすればいいか分からない。
1を選択して4になれればいいですが、多くはバイトするなどかなりの時間を生活費のために費やさねばなりません。それなら先ず2を選び、ある程度生活の目処がたった時点で1に切り替える。それが早期リタイアの一つのパターン。
リタイアして暇だとかいう人は、他にやりたいことがないのだから働いていればいい。
しかしいくらリタイアが人より多少早いとはいえ、残念ながら若い頃の感覚や能力というものは戻っては来ない。年を取ってからでは身体も頭も若い頃のようにいかないのが現実です。遅すぎるということはあるんだ。
お金は必要以上に集めても意味がないし、必要なだけあればいい気がするよ。沢山必要な人は沢山集めればいいし、それを邪魔するわけじゃありません。
なるべく早く人生を無駄につかうことから脱出して「心からやりたいことをやる」というのが全て。
でも多くの人は、そこまでしてやりたいこともないような気がする…。私も特にどうしてもやりたいってことはなかったんだろうな。あればやってたよな。
ある意味、社会って本当にやりたいことがない人たちが道路を作ったり、生活しやすいように基盤を整えて、やりたいことがある人のサポートをしてるようなものじゃん。
やりたいことをやる側にまわった方がお得だ。
(*以前、別の愚痴ブログに書いたものですが、ドメイン維持が苦痛になったのでそっちを消してリライトしました。次回はそういうのは放置してもいい無料ブログでやるべしw)
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