プログラマになった経緯と初期の頃


私は大学を中退して一旦地元に戻ったんですよね。

高校の時にPC-88とかを持っている友人がいたり、大学でFortranをやったり、その頃パナソニックのMSXを買ってBASICをやったことがあり、人とやり取りする仕事は嫌だし、興味があったのでパソコンをずっと使う仕事がいいと思ったんです。

地元ではプログラマ経験者への求人はほんの少しあったのですが、未経験可でプログラマというのはありませんでした。

まだそんなに個人でパソコンを買うという時代じゃなくて、パソコンの世代としてはPC-9801の頃です。

(当時、職安(ハローワーク)で自衛隊に入りませんかと勧誘された思い出あり)

 

私はその時10万円くらいしか持ってなかったけど、それでもう一度東京へ行きました。(学生時代に中華屋で倒れたことはあったけど、まだ精神的なあれが無くパワーがあった)

それで10万円でアパートを借り、DODAとかその手の雑誌を見て電話(携帯がない時代で電話の権利を持ってなかったと思うので多分公衆電話からかけたはず)をして面接を受けて、未経験okということで会社に入りました。社員数十人規模で会社は渋谷にありましたね。

(アパートはトイレ共同風呂無し。ネットが無い時代、店とかを新規開拓してる余裕が無かったので、前に住んでいて勝手がわかる豪徳寺の近くにした。学生で最初に住んだのは北池袋ですけどね。資金が底をつき最初の一ヵ月は親に食費を借りたと思うよ)

 

そこで「はじめてのC」という本でC言語を教わりまして、PC-98のMS-DOD上でコンパイラは「Lattice C」だったかな。社員の一人が担当ということでした。教えるといっても授業形式とかではなく、自習して質問してという感じです。(でも最初にアセンブラをちょっと説明してもらった気がする。98はVMとかの時代?)

私、当時偏差値60くらいの大学理系に入れたもので、中小企業に来る人の中では覚えが早かったらしく、向こうも楽だったらしい。そして、すぐに別の会社に常駐させられました。素人でも何でも人を集めて大きい所に派遣というパターンのやつです。

そんな感じで当時は今より社会に余裕はあったと思いますが、プログラム未経験者で会社にもぐりこんで経験者となりました。

 

常駐先が非常に大きな所で、覚えているのは夏は冷房が寒くて常に調子が悪かったのと、食堂が異様に広くて落ち着かなかったことです。多分それがトラウマで狭いオフィスの方が落ち着くようになったのかも。

最初の常駐先は個人にパソコンが割り当てられているわけではなく、UNIXの端末が使える時間が決まっていて、タイミングを見て端末のある部屋に行くというやつでした。

何をやってるかわからないくらい細かい関数の仕様を渡され紙にコーディングして、パンチャーさんが打ち込んだのを端末が使える時間に修正するという感じ。パソコン以外で仕事したのはそれくらいで(もう一つ深夜までやらされたやつがあったか)、基本的なことしかわからないままやってましたw

 

田舎は嫌なのでそのまま東京にいる気満々でしたが、しばらく働いたのちに常駐先で複数回倒れて、今で言うならパニック障害的な感じになって電車に乗れないし、当然仕事に行けなくなり、どうしようもないので再度地元に戻ったということです。

それで地元で医者に行って薬を飲みながら半年ちょいくらい静養し(まだニートという言葉はありませんでした)、まだあまり実力が無いままに今度は地元のプログラム経験者の求人に応募して働き始めました。

ここも言語はCでokでした。COBOLをやっている人もいましたが私はCでokということで。その後Windowsに移行してC++に。

ネットが無くて会社の人も解決できないことは、本屋で調べたり、どうしてもわからないことはパソコン通信のフォーラムで質問してみたりもしましたよ。

 

それで時代としては、数年してMS-DOS上での開発からWindows3.1に移っていき、マシンもNEC(98はUとかRXとかRAとか?ノートはNS/E、NS/TとかCPUが286、386の頃)からPC/AT互換機を使うようになっていきました。30歳くらいでプラグラマはもう嫌だと思って転職したという経緯ですね。

(それでゲーセンのバイトとかした結果、自分がやれることではプログラムの仕事が給料がいいなと再度プログラマに、その後十何年、言語も色々やって早期リタイアで今に至る。Web関係はかじった程度で、現在主流であろうWebの仕事はまた勉強しないとできないのよね)

 

自伝じゃないですが、たまに自分のことを振り返ってこういうのを書きたくなります。数か月で辞めた会社もあるので初期の頃でも大分端折ってはいますし、記憶も定かでない部分があり、混ざったり書き換わってるかもしれません。

あと最初に書いた、人とやり取りする仕事を避けたという動機でしたが、残念ながらプログラマも顧客の要望を聞いたり、ソフトウェアの説明をしたり、社内以外の人と話すことも必要でした…

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