自分がそういう人間ではないですが、自分がこうありたいと考える理想に非常に近い内容が書かれたものだと思います。賛同できるというか、或いはこういう考え方になりたいというか。
合理的というのか、ドライというか、偏った考え方をしない意思というのか。
何か、色々と悩んでしまう人にいい本ではないかなという気もします。気が楽になった部分があれば、自分は未熟だなと知らされる部分もありますね。
気になって抜き出したい部分を書いておきます。
この本は「自分探し」がタイトルにありますが、それはそもそも若い人からの相談の大半はこれに繋がっているからだということです。
それはじっくり考える時間が欲しいだけかもしれないし、自分が何を欲しがっているかわからない状態かもしれない。目の前のショーケースから商品は選べるけど、生き方は陳列されていないし、誰かの真似をしようとしても無理が生じるもの。
そしてこういった悩みに万能薬はない。それはわかっているが、誰かに背中を押されたいのではないか?ということ。
個人的悩みの多くは、他者から見られたい自分と、本来の自分とのギャップ。
「自分を見失う」のは、自分がコントロールできなくなるだけ。見失ったのは、他者から見た自分がこうでありたいという理想や計画。
他の事に没頭するようなことが、結局は自分を見つめることになる。自分を忘れるようなことが、自分を見つけることになるのではないか。
それは何かに没頭して自分が変化したという事実があるからだと思います。
また「楽しさ」を探す行為は、「自分を探す」行為とほとんど同じではないかということ。
今は用意された小粒な楽しさが多い。お膳立てされた楽しさをどれだけ試してみても本当の楽しさは味わえない可能性が高い。なぜなら時間をかけることでしか本当の楽しみは味わえないから。
しかし用意されたもので楽しめる人はいい。それで問題はなくて、それを楽しめないし物足りないという人の問題が本書の話。
楽しさは他者に与えられるものでなく、自分の中で創り出されるもの。楽しさを見つけることは自分探しとほとんど等しい。
というような話が前半かな。あと他者や社会と関わる際の考え方みたいな。
全体を読んで人生は何を優先するかは大事というのを再確認。何かを諦めねば何も得られない。自分は早めのリタイア人なので、収入を諦めて自由時間を選んだ人というのはあるけど。
但し、それは効率ということだけを考えるとですけどね。趣味としてはあれこれ手を出すのは肯定してもらった気がします。
メモ:
もし、他人の笑顔で腹が立つという人間がいるとしたら、その人はそもそも自分自身に不満を抱えている。
「僕はこう思う」ということを書いたときに「君もこう思え」という意味ではないよ。(そのように感じてしまう人が多い)
意見とは自分の思考をサポートするものではない(例:僕は喫煙しないが、喫煙自体は自由と考えている) (これ、本来はそうですよね。ポジショントークが多すぎるのだと思う)
社会というものは現実の世界全体ではなく、「他者によって見せられた一部」か、「自分が意識する範囲の場所」でしかない。
失敗しても、人が用意したコースなら腹が立つが、自分が決めた道なら腹は立たない。
何か変えようとしてもすぐに結果は出ない。
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