かなり前に買った積ん読本です。今さら感はあるけど読みました。
特に前半は人間の嫌な感じが書かれていて、久々のイヤミスは辛い。上手過ぎて途中で読むのを止める人もいそうです。
というか一時期他にも沼田まほかるさんとか真梨幸子さんとかもちょっと読んだのだけど、この系統は人の毒気にあてられて嫌な気分になるので読まない方がいいなと、私がこの本を放置していたのですが。
いわゆる高級住宅街で事件が起こります。元から住んでいるおせっかいおばさん含め三家族が登場し、それぞれがそれぞれの事情を持って暮らしている家族の中の話。
一家族はちょっと無理をしてその住宅地に家を建てていて、ぶっちゃけ周囲の家と比べると大きさも造りも見劣りしていて、それが娘のコンプレックスになっていたりする。
母の希望だった付近のお嬢様が通う高校にも落ちて、何事も人のせいにし癇癪を起こす。それにより母は疲れ、父は事なかれ主義でやり過ごそうとしている。
その娘が「坂道病」といっていて、
「普通の感覚を持った人が、おかしなところで無理して過ごしていると、だんだん足元が傾いているように見えてくるんだよ。精一杯踏ん張らなきゃ、転がり落ちてしまう。でも、そうやって意識すればするほど、坂の傾斜はどんどん酷くなっていって……」
というように、坂の上の高級住宅街で元々恵まれた人々の中で過ごすのに無理があったと語るのです。
自分と合わない場所で無理をしていたらおかしくなってしまったというのは、私自身も若い頃そうだったような気がしました。大学や東京生活自体、選び間違えたなと今にしては思うもん。
その向かいの家は一見恵まれています。娘はお嬢様学校に通い息子はバスケをやってちょっとカッコいい男子。
その恵まれている高橋家にしても、張り合っても仕方がない先妻へのコンプレックスがあったのか、息子が自分の希望通りになって欲しいと思う気持ちが事件の発端でした。
自分と息子とは別の人間なのだから人様に悪い事をしない範囲で好きにさせればいいのに、と思うのですが、母親にしてみれば、そう思えない感情があったのでしょうね。
私自身も「人は変えられない。離れるしかない。」と考えられるようになったのは退職してからかもしれません。生き方の本でそういうことが目につくようになったから。
最後、意外とおせっかいおばさんのおかげで遠藤家(癇癪娘の方)については救いがあるというラストだったけど、何があっても家族って一緒にいなければいけないものなのか?とは思う。
被害者の方を悪者にする嘘をついたということについては、倫理的な善悪は別として、何を優先するかという深さがあるのでしょうね。事件を起こした家の家族に対して今後予想されるであろう展開を少しでもマシにすべく兄弟が話し合って決めたこと、そして周囲も真実よりそれを黙認する方を選択したということなので。
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