この本は、科学を得て、しかも神の枷のようなものがなくなった今、人類の歴史から傾向をたどると、今後の人間はこうなっていくのでは?という考察です。(上巻のおさらいはこちら)
ものすごくざくっというと、人は神性を得ようと科学を発展させていくと、人間以上のアルゴリズムができていく。神のように広がったインターネットのようなWebにおいて、単にその一部のものとなってしまうかもしれない。というようなことかな。
以下、キーワードをメモっておきます。読んでないと意味不明かもですが。
下巻は人間至上主義への流れから。
中世:知識=論理×聖書
科学革命後:知識=観察に基づくデータ×数学
中世:善悪や人生の目的を有識者が語ることができた(過去の聖典に全ての知識があるという考え)
科学革命後:科学者は倫理的判断は下せない
人間社会は倫理や目的などの価値判断がないと生き延びられない。そこで倫理的判断には、中世の公式(聖典など)と科学を併用してきたが、人間たちが自信を持ってきた→人間至上主義が台頭
倫理的な判断に必要な知識=経験×感性
経験:感覚、情動、思考
感性:感覚、情動、思考に注意を払うこと、またそれらが自分に影響を与えることを許すこと
(経験が感性を育てる。例えば、お茶の味がわからないのに、明朝の磁器でパンダ茶を振る舞われても、安い紅茶とありがたみはそれ程変わらない)
つい数百年前までは、子孫の時代も今と大して変わらないだろうと考えていた。今は人が経済成長を信じるようになった。
人間至上主義は、経験を通して無知から啓蒙へと続く、内なる変化の斬新的な過程として人生を捉える。物語も外面から内面を語るものに変化。
人間至上主義における宗教戦争
→自由主義的
→社会主義的
→進化論的
そして自由主義的な人間至上主義が生き残った。
ここまでが人間至上主義の流れ。最後に人間至上主義の夢(テクノロジーで人間の寿命と幸福と力を最大化すること)を実現する試みがなぜ凋落に繋がるのかを説明。
最近の研究で、脳の状態(ニューロンなど)を観察していると行動するほんの少し前にどう動くかわかるというのがありますよね。
当然ながら本人は自分の意志で動いていると思っている。あるラットを使った実験では、脳の状態を解析し、逆に信号を送ればラットを思ったように動かせるらしい。近年の科学的発見により、自由意志というものがはなはだ疑問となる。
近年の科学的発見は自由主義の哲学を切り崩す。そうすると実際に進展することは?
・経済的にも軍事的にも人間は必要とされなくなり(ロボット、コンピュータが代替)、経済と政治の制度は人間にあまり価値を付与しなくなる。
新しい巨大な非労働者階級「無用者階級」が現れるかも。経済的(雇用されない)、政治的、芸術的(AI、アルゴリズムに取って代わられる)な価値さえ持たない。
(アルゴリズム:考え方とか結論を出す道筋とか思っていただければ。それを定型にしたもの)
→この無用者階級を養えたとしても何をすればいいのか。薬物とコンピュータゲーム?→マトリックスの世界
・経済と政治の制度は、集団としての人間に価値を見出しても、無類の個人としての人間の価値を認めなくなる。
人はアルゴリズムで表せる。それでも人に価値を見出せるか?個人主義の崩壊。
(GoogleやFacebookなどの巨大なデータベースは本人より詳しく本人を知ることが可能。信頼すれば重要な選択を委ねるように)
→アルゴリズムは人より優秀になっていく。人はアルゴリズムに管理される。
・経済と政治の制度は、一部の人間には個人としての価値を見出すが、彼らは人口の大半ではなくアップデートされた超人という新たなエリート層。
不平等のアップグレード。富を持つ持たないという格差でなく、身体的能力、認知的能力という格差が生じるかもしれない。
大衆が兵隊としても労働者としても不要なら、エリートは大衆の健康水準を維持することに関心がなくなるかもしれない。平凡な大衆より突出した超人がいた方が国同士の競争に勝てるならそうするかも。(そして超人と大衆は互いの感情などが理解できなくなるかも)
超人のカースト→無用の大衆を尊重するか?→自由主義の崩壊
人間の意志さえも制御できる→自由意志というもの自体が疑問→個人主義でいられるか?
では次のイデオロギー(宗教)は?
・テクノ人間至上主義?
→相変わらず人間が頂点だが、テクノロジーは使うべきだ。高性能のアルゴリズム(AI)に引けを取らないように。
→第二の認知革命をおこせるかも
→心をアップグレード。コウモリは反射の世界に生きているが、どうのような意識でいるか分からない。人がそういった器官を装備したら新たな意識の状態を知るかも。
→実は人間をダウングレードするのかもしれない
(恐れは匂いがする。勇気に満ちている時と恐れている時では違う化学物質を分泌するから。太古の人はそれを嗅ぎ分けられたかもしれない。というように何かの機能を失う)
・データ教?(データ至上主義)
生命科学:生き物を生化学的アルゴリズムと捉えるようになった。
コンピュータは電子工学的なアルゴリズムを設計できる。
→動物と機械を隔てる壁を取り払う
人間の政治制度はデータ処理システムと考えられる
資本主義:分散処理
共産主義:集中処理
時代によりどちらかがたまたま合っていたが、今はテクノロジーの革命の方が政治のプロセスより早い。議員も有権者も制御できない時代になっている。
政府は科学に追いつけないので自由市場の手に委ねるが、未来を市場に任せるのは危険かもしれない。市場にとって良いことが人類や世界に良いことではない。
もう人間は厖大なデータに対処できない。アルゴリズムに任せてしまおうと考える人たち。
情報の自由
資本主義:経済成長にかかっている
データ至上主義:情報の自由にかかっている
人々が本当に求めているものは自家用車ではなく移動のしやすさ。優秀なデータ処理システムがあれば可能(それには皆がどう移動しているかという情報へのアクセスが必要となる)→既に若者は、記録・アップロード・シェアに慣れている。(それがプライバシーや自律性や個性の放棄につながるとしても)
人間至上主義はキャリアをどうする?誰と結婚?など迷ったら自分探しをする。データ至上主義はDNAを調べ先祖を調べ、生活をモニターし自分の好みをアルゴリズムが閲覧するのを許可する。→すると最適な答えが。
科学により人間が特別な存在ではないと分かってしまった。人間を超えるアルゴリズムも出てくる。すると人間の経験も、それ自体は他の動物と比べ優れているわけではない。シェアをしてデータとなって初めて価値を持つと考えるようになる(そういえば私も日記をWebで公開してしまっている)
全てものとつながり取り込んで、インターネットのようなWebはやがて宇宙に広がり神のような存在となる。人間はその一部に過ぎない。みたいな。
しかし、本当に生命はデータフローに還元できるのか?生命をデータ処理と意志決定だとみなしていいのか? その疑問を頭に残して欲しい。
この本は、科学を得てこれから人間はどうなっていくのか、という考察が基本だと思います。それに対して過去からの流れで人間というものはこう考えるだろう、こういう行動をとるだろうという線から追っていくわけです。
しかしこういった予測で視野を狭めるのではなく、同じ技術を知っていても様々なイデオロギーの国があるように、未来はどのような選択肢も取り得るということに気づいて欲しい、というのがこの本の狙いだと言うことです。
感想としては、こんなことを言っては元も子もないですが、とはいえ私がどう思ったとしても人類が進む道は変えられないし仕方がないという無常感が…
少し前は倫理的にちょっとと言われるようなことも、今では平気ということもあるし、科学の進歩やその時々の欲求などによって許容範囲が移り変わっていくわけです。
始めは身障者の手助けを目的とするサイボーグ義足等でも、その技術があれば一般人もよりパワーが得られるなら装着したい人だっているわけです。重量物運搬時のパワードスーツとか。(そもそも運搬は機械がやってくれるでしょうけど)
身体機能を拡張する、次は脳?意識?を拡張する段階に入るのか、実際はどうのように推移するのかは不明ですが。
でも一部の富裕層だけがそういった技術を使える可能性は高いし、人間として物理的な格差もできてしまうかもしれない。そうするとその超人たちは、現状のままの人間を同類として扱うのか?もしかしたら自分らより劣った生物として見てしまわないのか、というような懸念があると。
自らが制御できない力を使わないように、「あることの対策が発明されないうちは、そのあることを使ってはいけない」と決めたとする。しかし守らない一部は必ずいて、先んじた人が得をすることが多いかもしれない。すると誰も守らないよね。京都議定書とかだって批准しないわけだし。純粋に好奇心とかは止められなかったり。
自由主義をやめて、ある程度皆を平等にするというのなら、1984のビッグ・ブラザーみたいなアルゴリズム(AI)に皆で制御されることを受け容れるのかも。それがインターネットの一部になるということですが。
まだ大衆が主体の時代なら、「自由だが北斗の拳みたいな荒廃した世界」と、「制御されているが本物ではないマトリックスの世界」とどちらを選択するかみたいなことになるのかもですが、その時代は、大衆がいくら自由が良いといってもアルゴリズムや超人たちに支配されてしまって既に選べなくなっているかも。
未来は自分たちがどういう選択をするかによります。なのでこの本の目的として、どうしていくのがいいのか考えてみようということですね。
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