オードリー若林正恭の一人キューバ旅行記です。
うーん、なんか最初から刺さりますね。
ニューヨークの広告。
「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう。」
それは
「仕事で成功しないと、お金がなくて人生が楽しめません。」
と変換されてしまう。
自分の場合、こういう価値観で生きなくても良いよなと思うようになったのが随分遅かったな。三つ子の魂百までじゃないけど、50歳近くになるまでその価値観でいたということの恐ろしさ。
著者は自分の悩みのほとんどは人間がつくった枠組みの中でのことだと気づく。ならばそういうシステムではない場所で陽気に暮らしている人々がいると言われるキューバを見てみたい。キューバ行はそういう動機らしいです。
(最後まで読むと別の理由が明かされるんですけどね)
半分くらいまで読んだところに、実際に訪れたキューバでずっと風景を見ていられると思ったら、街に広告の看板がなかったという件が出てきました。(そういえば私はブログにすら広告を貼ってるし…)
もちろんお金を稼いで楽しむのはそれはそれでいいと思うけど、早めの隠居の我々みたいにそこから抜けたところで別に文句を言うことでもないよね。
でもキューバでもアミーゴ社会でうまくコネを作れない人、結局商魂のないバカ正直な人はお金持ちになれないようで、
日本:機会の平等、結果の不平等
キューバ:結果の平等を目指すが機会は不平等
といえるかも。なら競争に負けてぼろい家に住む方が、アミーゴがいなくてコネがないためにぼろい家に住むより納得できるかもしれない。と感じたとのこと。
出発前の辺りなどワクワクしながら読んでしまった。文中にある、旅に出るときの「この国と自分を繋いでいるクラッチが切れる」という感覚は何となくわかりますね。
まあ切れるというか旅に出るどこかのタイミングで自分で踏んで切るんだけどね。オートマ限定免許の人はまた違った表現をするのだろうけど。
あと目を引く「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」というタイトルの謎は、カバーニャ要塞で見た犬は汚れているし手厚い庇護も受けていない。観光客に取り入って餌をもらうこともある。だけど誰かに飼い慣らされるよりは自由だ。という中二病が少し残ってる私が好きなあれでした。
ラストの、普段とは異なった日常がある世界に少し身をおいてみて、東京に戻ってまた踏ん張る感じがいいよね。平等を目指すもやはり無理があるような世界から、自由だけど疲弊する競争社会に戻って来た、みたいな。
それほどリトルトゥースでない私でも楽しんで読めました。あと知人の知り合いでキューバ在住のマリコさんという人が登場しますが、頼りすぎでしょw
キューバと言えば首都はハバナ。私、ハバナというと「黄色い畑のうねりを見ていると~」という寺尾聰の歌を思い出してしまうくらい他に何も無いのですが、若い人はそんなの知らないかw
でもたまに読むと旅行記というのも良いよね。用意だけして放ってあるパスポート申請用の書類だけど、やはり窓口に出しに行こう。そういう気持ちになりました。
広告とか
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