昨日に続いてオードリー若林正恭の、雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載されたエッセイ集です。
最初の方に「一人で平気なんですけど」というのがあります。
・「みんなといないと寂しい人」がいて、そういう人は「みんなが、みんなといないと寂しい」のだと思い込んでいる。
・一人でいてもあまり寂しくないのは、自分と話しているから。
これは一人が好きな人は「まさにそうだよね。」なんだけど、一人じゃいられない人には分かってもらえないことなのか? 自分の場合は、自分と話しているというかどうでもいいことを考えてるのだけど。
昨日の旅行記もそうですが、一人で旅行に行くと色んなことを考えるんですよね。もちろん複数で旅をしての会話とか一緒に何かを見て感じたこととか、そういうのも非常に大切だと思いますが、一人だと圧倒的に考える時間がある。
いつもとは違った風景に身を置くと、普段とは異なる視点からものが見られたり、いつもは思いつかないような想像が浮かんできたりします。そういうのが単独で旅しているとあるし(いや、複数人旅でもあるけど)、個人の旅行記というのはそういった日常を離れたときの思考や感情の変化みたいなものが読みたい。
観光地や有名店の情報ならガイドブックを読めばいいのですし、そういうのはさらっと入れてくれればね。
一つ読むと次は何が書かれているのかと気になって読んでしまった。文章も読み易いです。
特に「2009年とぼくと」とかは好き。
理想の自分になれずに周囲にとげとげしくあたっていた自分を、吹っ切れて少し成長した自分が見ている話。上辺を取り繕っていた自分と、内面をさらけ出すことができる自分のどちらが良いだろうか、みたいな。
そういう葛藤があっても、若林は実際にずっと活躍しているわけですからね。センスも実力もあるのにね。
「ナナメの殺し方」あたりを読んでください。
何かを揶揄する冷笑の笑いは違うと感じ、ゴルフを始めたり、キューバ、モンゴル、アイスランドに一人旅に行き始めたそうです。随分と前向きになったみたい。(キューバ旅行記は昨日読んでブログを投稿しました)
斜に構えて何かを批判しているのもあれだし、自分が熱くなった方が世の中は面白いという気づきがあったのだと思います。言い訳で自己防衛していても仕方が無いと。
特に若い頃は自分も「あいつあんなことに熱くなって恥ずかしい」みたいなことは多かったし、なるべく早く人を気にせずに自分が熱くなった方がいい気がしますよ。
「自分の好きなことがわかると、他人の好きなこと(趣味)も尊重できるようになる。」
つい他人の言動や物事を否定的に見てしまう傾向があるなら、この本を読んで若林が取った「肯定する」方法を試すのも良いかも。
私もやっと退職後に人の目を気にせず開き直ってあれこれやってみようと思えたんだよなあ。恥ずかしくても揶揄されても。歳を取ると自然とそうなる人は多いかも。残り時間が少ないと考え始めますからね。(電車で荷物を投げて座席を取るとか、そういう恥知らずの行動のことではありません)
読んだ人じゃないと何を書いているか不明な感じですが、全体的には、若い頃の自意識過剰な時代を経て、徐々にいい具合に力が抜けていく変遷具合を見せてくれている感じでした。
それならいいのだけど、さらに進んで「中年クライシス」的な状態にもなっていたなんてね。
名言もあるなあ。おじさんになって体力がなくなると、悩むことができなくなる。とかw
外のジャッジが正しいとは限らない。そんな風に思っちゃっていいんだ。こちらは気持ちが楽になる言葉ですね。
これは結構また読み返したいくらいの感じがあるな。
でもみんな程度の差はあれ、若林の様に悩んで、どこかで折り合いをつけていわゆる大人になるんでしょ。私も前向きになったり虚無感に苛まれたり(虚無虚無プリンですね)と日々あれこれですが、まあ何となく死なない程度に生きていきましょうよ。
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