昨日からの続きで七巻まで読みました。これで完結です。
なるべく面白さを損なわないように詳細はぼかして書こうと思いますが、大筋がネタバレしてます。(もし本を読むならブログ内容を忘れた頃に読んでね)
あらすじを少し。
嫁と上手くいかない日が続き、なんとなく家に帰りたくない気分で入ったネットカフェ。そこにいたのは中学時代に想いを寄せた遠野という女子だった。
もし過去に遠野の言葉に応えていたら、その後の人生はどうなっていただろうか。現実逃避して妄想する。気がつくとネットカフェはお客ごとどこかに飛ばされていた。
ネタバレするよ~。
漂流自体の謎としては主人公の観念的な世界なのだけど、この話ではそういう謎解き的なことは重要ではないはず。
自分の気持ちに折り合いをつけ、今置かれている現状を受け入れるのか(大人になるということ)、それとも中学生くらいの頃のピュアな自分の中に浸って(もしくは意識して貫いて)生きていくのか、そのどちらかを選択しなければならないという話ではないか。
若い頃に何かを諦めた、何かが強い心残りになっている。
いつまでそれを引きずるのか、断ち切って今現在を充実させていくのか。
「お前、周囲に迷惑かけてるぞ、もっと大人になれ」と言われている気がします…
ストーリーではネットカフェごと漂流するなかで、狂気と恐怖と怒りが蔓延する極限状態に置かれる。その状況において、過去の想いが本当に今でも必要で追いかけたいのか悩む。
日常からかけ離れた異常な場所に身を置くことで、自分の心の深層を探っていくという話なのだと思う。
簡単に例えると、このままこの駅で下車しなければどうなるのかとか、会社に行きたくないから何か事件が起きないかなとか、誰もがするそういった空想が実際に起きたなら、「戻りたいのか、戻りたくないのか?」ということ。
主人公以外は巻き込まれた世界なので方法が判れば現実に戻っていくのだけど、主人公にとってある意味ここは夢の世界。なのでグズグズと悩んで他の人から糾弾される。
最終的にはやっぱり過去は過去なんですよね。現状に文句があっても記憶の中に住めるわけではなく、今をより良くしていくしかない。
短くまとめてしまうと、「自分の人生ってこれでよかったのか?でもどうしようもないよな。今できることを前向きにやるしかない。」と、にべもない感じですが、そこに行き着くまでの葛藤というか、そういう話。
他人を酷く傷つけながら巻き込むというのも、一人で考え込むだけでは成長していけない的な?何かを暗示している気がします。
参考までに、自分が読んだ押見作品の発表された年代を見る。
漂流ネットカフェ(2008年 – 2011年)
惡の華(2009年 – 2014年)
志乃ちゃんは自分の名前が言えない(2011年 – 2012年)
ぼくは麻理のなか(2012年 – 2016年)
(Wikipediaより)
こういう順番だったのか。
いつまでも大人になりきれない人のための読み物です。
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