何か目標とする所があるのなら、自分には向いていない場所で努力するよりは別の方法を模索した方が良いのではないか。
例えばスポーツの競技でメダルを得る事を目標とした場合、競技人口が多く身体的にも厳しい100メートル走より400メートルハードルを選んだ方が、自分にとってはメダルに近いのではないかという考え方をすればどうだろう。
この分野は自分に合わなかったけれど、合うところに行けばそこそこにはなれるかも。
「ある分野で優秀なら他に行っても優秀なはず。裏を返すと、この分野でだめだったおまえが違う分野に行ってもどうせだめだよ」と考える人も多い。確かに平均的にポテンシャルの高い人はどこに行ってもある程度は出来そうですが、人によっては何かに飛び抜けた能力がある場合もあるし。
自分に合うものをなるべく早く見つけることが重要です。見つからないのでサラリーマンになってしまうのだけど。
もちろん本人が100メートル走が好きで、成功などは望まずやりたくてやっているならそれでいいのです。
100メートルの方でなくメダルという目的が主であるならば、到達する道は他にもあり、100メートルという手段は諦めても、別の方法でトライすればいいのではないかという事。
もっと言えば、自分の能力や体型で有利に進められるスポーツを作ったり、マイナーなら広めてしまおう。スポーツでなくとも自分に向いている仕事自体を作ってしまおうと発想する。
ざっとですがそういう内容で始まりました。
他、特にセミリタイア関係者には馴染みがあるような、世間に煩わされず生きていくための考え方などが書かれたものです。
本のタイトルは「諦める力」ですが、むしろ「割り切る」という感じに受け取れました。人生、色々と割り切ったセミリタイア関係者には腑に落ちる内容が多いのではないかな。
自分が鹿に生まれたのに、犬の方が人気だからといって犬になりたいと頑張っても鹿は犬じゃない。
ちょっと私のこの文章では身もふたもない感じになってしまったのだけど、自分というものを分析し知った上で、前向きに諦める、という心の持ちようもあるということを伝えてくれます。
努力は重要だが、それでは何とかならない場合も多い。「諦め」は別の選択をするということであり、逃げや恥と捉える文化や価値観は変えていった方がいい。
途中、失敗体験を語ることが重要だという話が出てきます。
これは確かにそうで、成功本は多いのだが失敗本は少ない。ここでこうやったら間違ったという体験は、続く人達に無駄をさせないためにも有用で、自分ももし何か思い出したらブログに書いてみたい。
「おわりに」に書かれている、生きることを気楽にする考え方がいいよ。何かあってもどうせゼロに戻るだけだし、それならいっちょやってみるか的なw
最後に、自分がそうだなと痛かった文章を引用して終わります。
日本人は、金メダルやノーベル賞といった既存のランキングを非常に好む。これは他者評価を重んじる、日本人の気質をよく表していると思う。
それはそれで目指してもいいとは思うけれど、多くの日本人は、あまりにも人から選ばれようとしすぎてはいないか。人に受け入れて欲しいと思いすぎてはいないか。
自分で選択をして来なければ自分なりの判断基準が育ちません。偏差値順でいい大学へ、就職活動でもいわゆるいい会社に入りたいとなってしまう。
これでは誰かが設定したランキングからずっと抜け出せない。自分なりのランキング=評価基準を持てば、他者の評価自体を客観的に見ることができる。
関係ないけど、↑はタブレットじゃコピペが大変で簡単なテキストリンクにしたよ〜。画像を出したいから前の投稿では頑張ってコピペしたんだけど、ブログ書きはノートPCが無いと辛い。文字だけならスマホとかでもいいのですが…。せめて字をでっかくしておくかw
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