帯を見ると(図書館の本だけど帯を上手い具合に表紙の次の頁などに貼り付けてあります)、
”相手の要望に応え続ける「罠」に陥っていないか。”
”群れの中で奴隷のような日々に耐え続けるより、四の五の言わず、まずは逃げてみろ。”
とあり、冒頭は孤独というより逃げることの大切さを訴える。
みんなこうしているからとか、こうでなければならないと考えすぎ。そういう考えの奴隷になっている。
自分で考えなくてもいい状態が好きな人が多いのかもしれませんし、私もそうだったと思います。世間に合わせるのがそれほど苦労じゃないタイプにしたら、その方が楽といえば楽です。
ただ、「こんなの俺の人生じゃないよな」と一度思ってしまったらもう無理w
若い頃そうで、その気持ちを一旦殺して普通に何十年も会社勤めをする。やがて人生も後半に入ってきて、やっぱり今のような生活のまま死んでいくのは一生の使い方として非常に勿体ないのではなかろうか?とまた沸々とそういうものが湧き上がってきてしまうのですよね。
奴隷について
もちろん仕事をすることが「奴隷」というわけではないですけど。
フレッシュな新人の頃のやる気は上の人の態度で削がれるもので、「いわれたままに動けばいいや。自分の心を抑えつけて就業中は何も思わないようにしよう。仕事中の俺は単なるロボットだし。」という感じになってしまう人も多いと思います。
その思考停止状態が「奴隷」ということでしょう。
疲れにしても、やる気のある時の疲れ方と気持ちを削がれた時の疲労感は全く違うし、いわゆる死んだ目のサラリーマン状態。
それはもう入れる会社のレベルや入った会社の慣習?によるので仕方ない部分があるとは思います。いうとおりにやってくれるロボットが必要な会社と、自らアイデアを出してくれる人間が必要な会社という違いで。
ロボットの代わりに採用されている場合は、割り切って給料分だけ働いて、あとは何か別の人生を見つけないとつらいですね。ブログ書きでも哲学するでもプラモ作りでも、好きなことなら何でもいいと思いますが。
逃げること
大変で追い詰められている人に対し「ちょっと休めよ」といえば、「こっちは真剣にやってるのに、そんなこと言わないでくれ」と反論されるでしょう。実際はあれこれ難しいですよ。
ただ、それでも「逃げていいんだぞ。」と声をかけることに、きっと意味はある。という文章がいい。
少なくとも「逃げたい」と思うのは、今いる状況が良くないと客観視できている状態だということ。思考停止すると他の選択肢を見失ってしまう。変に強さやプライドがあると厄介。
孤独論
田中慎弥氏は芥川賞授賞式の素っ気ない態度やニート暮らし?(引きこもりと本書中で散々書いてある)をしていたことで話題になりました。
他の著作はまだ読んでいませんが、純文学の人というイメージなので、(小説はそうなのかもしれませんが)この孤独論というタイトルの本も、もっと難解に書かれているかと勝手に思ってました。
この本は多分、誰もが理解できるように至極わかりやすい文章にしてくれてあるので、一人が好きな孤独関係者?というより、むしろそうじゃない価値観の人が読んで孤独の意味や価値を理解してくれたらなと思います。
価値観が違うのであれですけど、少なくとも一人で寂しそうで可哀相とか感じてもらう必要はないのだよと。
読書の必要性
第四章ではなぜ読書が必要なのかについて触れていて、仕事や世間の奴隷にならず、くだらない流行から逃れ、そして孤独に耐えるためとある。
孤独なら尚更、本は友人や先生の役割でもあるし、反面教師だったり、世間一般の人でもあり得ます。一人でいても他人の価値観に触れられますし。
読書好きを育てるという意味では、読んだら自分なりにブログとかでアウトプットするのはいいと思うけど、子どもの頃に立派でそれらしい読書感想文とか書かせなくていいのにな。
「ぼんやりと何か熱いものを感じたw」とか「なんだか分からないけどわくわくした」とかそういう感想で許して欲しかったよw 子供ながら変に上手いこと書こうとするから読書自体が嫌になっちゃう子がいたと思うよ。
(多分、そういう表現が苦手で、それほど理系頭でもないのに理系の学科に進んでしまった自分がいたと考えられ、学校の弊害を感じるのさorz)
最後にある「棚からぼた餅論」は生きる上で参考になるかもしれません。棚に手が届くことを才能というなら、手が届かない人はどうすりゃあいいの?
興味があれば読んでみてね。
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