我々ってセオリー通りにやろうと思う人が多いと思う。実際に既に何らかの方法があるのなら、その方が早いし。
なので多くの人にとってそれは悪いことではないし、仕事などでは寧ろいきなり変わったことをされても困る事が多い。
でも趣味とか遊びでやってるならセオリーとかは無視してもいいんですよね。
今更セオリー通りにやって楽しいのか?というのはあるし。
DTMでもコンプレッサーというものがあり、それは基本的には音が大きい部分を均して音の大小を均一に近づけたり(聞きやすくなる)、それにより全体の音量を上げる(迫力を出す)のを狙うというものだと思います。
そのコンプレッサーには様々な数値が設定項目としてあり、真面目な人間は特にDTMを始めた頃、どうしてもどの項目をどれくらいの値にすればいいのか正解を求めてしまうんですよね。
でもDTMに限りませんが、創作の場合の本質としては、何事も自分が良いと感じる様に設定すればいいはずです(多様なプリセット(設定例)というものはあるし、参考にすればいいのですが)。
ただそう言われても自分の感性に自信が無いので、先ずはセオリーを教えて下さいよということになってしまいますが。
まあなのでセオリーに囚われずに色々とやってみる人がいて、もしその人に優れたセンス、感性があれば独特で良いものが創られていくんでしょうね。
(いわゆる生まれ持った天才的な。それでも普通の人でも後から磨ける感性もあるはず)
一般人は感性が一般的なので何事も先ずはセオリーから始めるのはそれでいいよね。俺たちは型破りな事なんて出来ないのだ!
今まで無かったようなものを生み出すのは難しいかもしれないけど、徐々に一般人の出来る範囲でブラッシュアップしていくということになるんだろうな。
ということでもありませんが(なにそれw)、セオリー通りにいくことはAIでもよくて、セオリー通りにいかないような問題は優れた人が解決しないといけない。
(人類としての発展的には)いけなかったのですが、優れた人も世の中の為にそのリソースを使わずに自分だけが上手く行けばいいような時代になってしまいましたね。私達がそういう雰囲気にしてしまったんだと思います。
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