若い頃で、これから何かを目指そうかという場合は実際に何か実がある必要があるかもですが、隠居生活や老後生活では全て自身の気の持ちようなんだよなあ。
私の場合はピアノ練習をすると他の過ごし方より充実感があるんだけど、実際に趣味とかそういうのは何が良くって何がダメというものではないじゃん。
多分身になるという点でいうと、本を読むのが一番為にはなる気がしますが、充実度はそこそこです。
現在の他の過ごし方としてはアニメを見るとか、耳コピをするとか将棋ゲームをするとかで、それだけになってしまうと別に充実した日だったとは思わないし、アニメなんて逆に一日見てしまった感があるよ。別にそれはそれで新作を見られたのだし充実しているはずなのに。
自分の中でどういう思考でそうなっているのか。何か特別な感情があるのかなあ。
外に出て数キロくらい歩くと結構充実感があるし、勉強系とか辛いことをすると「俺頑張った」で充実感があるのだろうなあ。
でも歴史動画を見てもそんなに充実感はないんだよなあ。動画というものは何であれ娯楽だと考えているのかな。
本来は目標に向かって行動したり努力している時が充実しているというのだと思うけど、老後というのはそういうのがなくなってしまったということなのですよね。
なのでもう本当に充実している感や達成感は気分次第なのだよなあ。
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