たまにニュースで野菜とか牛乳を廃棄してる映像が流れます。
あれはもったいないとか罪悪巻を感じますよね。
物は捨てるときに何らかの気持ちの動きはありますよね。
機械ならまだ動きそうなのにもったいないとか、今まで良く動いてくれたとか、お疲れ様とか。
でもアプリとかプログラムって削除しても一般の人は特に何も感じないんじゃないかなあ。またいつでもインストールできるものだし。
あと、家を建てる時って、ほぼ完成近くになってから二階にもう一部屋増やしてくれとか、玄関はやっぱりこっちにしてくれとかいいませんよね。
それ、プログラムの場合は言われがち。例えれば三階建てにしてくれって言われるのです。具体的に材料費ってものがかかりませんし。
やりますが、元々の設計が違うから耐震性能や堅牢性が犠牲になるかもしれません。壁をぶち抜いたら家と同様に廃棄する部分もありますし、繋ぎ目に気を遣うのも同じこと。
ユーザーの目に触れる部分以外は目に見えないし、まあ、そのあたりが我々(請け負ってプログラム開発を仕事にしていた人)の辛いとこですよね。
見えないから仕方ないけど。
プログラミングって、そもそもが請け負ってやることじゃあない気がしてきた…
自分のアイデアで何かアプリやシステムを開発するというなら、コードを破棄して一から書くことも気にならないし、まったく別の話なのです。
作曲ならピアノとか、絵を描くための絵の具や筆とか、そういうことと同じで、自分が考えていることを表に出すためのツールとして利用できればいいのよね。
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