非常にやる気が出ないですが、ささっとでもブログくらいは書いた方が精神面では良いかもしれないですね。冬季より夏の方がやる気なくていかん。(と思って始めたら結構書いた)
たまたまURLの動画を見て古いこの本を借りたのよ。(https://youtu.be/ajyyGn9MexU
)
我々の感覚で見れば、近代はヨーロッパと日本が比較的発展し、かつての4大文明の地はむしろ遅れがちであったのですが、それに対する考察です。
ユーラシア大陸の東西両端であるヨーロッパと日本は文明発祥の地からは離れていたのですが、伝わる程度には近接していた。
そして中央では遊牧民族の侵入などもあり、民族等入り交じりなかなか安定した国家が続かなかった。だが、両端地域では中世以降の封建制度、荘園で一部の人(昔からの貴族や王でなくても)が資産を得て投資家に成り得た。それで投資が進んで近代の工業化が出来たのではなかろうか。
両端地域は封建体制から革命へ、中央地域は専制君主制か植民地で、元々両端と中央地域は国の構造や民の意識が異なっていて、同じものを受けても違った反応になったのではないか。それでヨーロッパと日本は離れていても似たような流れが起きたのでは?(高度資本主義の流れになるのに、革命以前の体制に封建制を持っていたかが関係している)
というような話です。
中央地域(本書では第二地域。大まかに4ブロック。中国世界、インド世界、イスラム世界、ロシア世界)
始めは進んでいたが、破壊と征服が常。一時期大帝国が築かれても、内部から革命的な展開に至るまで成熟せず外から暴力的な征服者が現れる。近年、大陸乾燥地帯からの暴力が鎮圧されたと思ったら(中国、ロシア、インド、トルコが成立)、今度は近代化した両端地域から侵略を受けた。
両端地域(本書では第一地域。日本、西ヨーロッパ諸国)
始めは遅れていたが、外部からの侵略をほとんど受けずに内部的な動乱を経て封建制、革命(日本は明治維新)と進むことができた。
地政学的なことだと思いますが、地理的に遠すぎなかったので技術は伝わったが、近すぎなかったので混乱に巻き込まれずに落ち着いて発展できたという。(日本は鎖国があったので大分遅れたが)
距離だけならば東西でなく南北方向はというと、気温の関係など他の要因があるので、あくまで単純にするとということです。
といういことを踏まえ、生態史観、進化史観という言葉を考えると、生物の変化のように歴史も一本調子で変化(進化という言葉はちょっとということらしい)するわけでなく、発展というか理想とする最終目標が同じわけでもない。今まで文明の進化については全世界が同じだと考えすぎでは?みたいな。
ゲルマン民族の大移動もフン族等の侵入が主な理由と歴史動画で聞いたような気がしますが、現代ではそういうこともないし、両端地域では少子化で人口が減りやすいし、今後また歴史的なスパンではどういう展開になるのかわかりませんが。
今私が読んでいる文庫は1974年初版ですが、タイトルの文は1957年2月に載った論文とかなり古いものです。(わたしゃまだ生まれてない) 文庫の内容は他にタイトルの補完となるテキストや、当時各国を回り感じたことなど。
「生態史観からみた日本」という章がありますが、これは視野が狭かったり何かに囚われて柔軟な思考ができない知識人に対する愚痴や皮肉を含んでいて草。
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