前回からの続きです。
一人でいるときが「本当の自分」ではないか?と思うのですが、これも様々な分人を入れ替わらせながら、色々と考えを巡らせていると考えます。一人でいても、仕事の事を考えていれば会社に対する分人だし、家族のことを考えていれば家族に対する分人となっています。
「本当の自分」とは、などと考えずに、自分は複数の「分人」で成り立っている、分母を自分という個人とすれば、分子はそれぞれの分人の総和だ。そういう考え方、イメージを持って生きた方が楽かもという考察であり、勧めです。
会社の上司がストレスなら、上司に対する分人の比重をなるべく低くし、好きな人といる分人が占める割合を高くする。まあつい嫌なことを考えてしまうので難しいですけどね。
大切なのは分人のバランスです。ちょっとP109を引用。
不幸な分人を抱え込んでいる時には、一種のリセット願望が芽生えてくる。しかし、この時にこそ、私たちは慎重に、消してしまいたい、生きるのを止めたいのは、複数ある分人の中の一つの不幸な分人だと、意識しなければならない。誤って個人そのものを消したい、生きるのを止めたい思ってしまえば、取り返しのつかないことになる。
苦しいときには「一つの不幸な分人だけ」を切り離すような考え方で動いてみてはどうでしょう。具体的には場所を変えたり所属先を変えたりということですが。
本当に辛いときに考え方をああしろこうしろといわれても困難だと思いますが、老人になるまで死なずに生きる上での知恵です。この本にもありますが、「こっちがダメなら、あっちがある。」で問題ないです。正直、相当な出来事があっても、十年もすれば平気になってますw
ある程度の年齢まで生きた人は、辛いときに対処する考え方を自分で編み出していると思いますが、繊細な若い人がこういうのをぱっと目にして、そういう考え方もあるのか!と思ってもらえれば幸いですよ。
最近評判のよくない?「自分探しの旅」ですが、分人的に考えると、旅先の環境や出会いを通して、新しい分人を作っているということ。
自分の「分人」のラインナップに何かが欠落しているとか、充実した分人がいないのです。それ故に、それらの総体からなる自分に飽き足らないため「自分探し」などと旅に出てしまう。なるほど、解りやすいかも。
また、一つの章を割いて分人主義的な恋愛観を語っていて面白いです。
恋というのは出会いさえあればコントロールできずに勝手に芽生えてしまうもの。愛とは関係を維持していく段階で、誰かといると心地よい、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態だと考える。では同時に複数の「恋をする分人」を抱え込んでしまったら…続きはCMの後でじゃなくて、興味があれば読んでみて下さい。
・自分は複数の分人で構成されており、良い分人も悪い分人も、そのどれもが自分に他ならない。
・誰かにヤキモチを焼いたとしても、それはその人が自分に見せている一つの分人に対するもので、その人が抱える他の分人のことまで知ることはできないし、コントロールなんてとんでもない。
・目標とする、なりたい自分があれば、徐々にでも自身の中の分人の比率を近づくように変えていく。(意識高いぞ!)
・死にたいのは、数ある分人の中の「とある分人」だけであり、その分人を可能な限り小さくし、他の分人になりきれば死にたくはないはず。
そのように考えていくと、何となくですが、今後生きるのが楽になったりしないでしょうか。少しでも楽になるなら「分人」という概念を取り入れてみるのもいいかもしれないです。
しかしこの本も「寄贈」の印が押してあるし、札幌市の図書館は寄贈本が多いのかな。たまたまかもしれませんが。私もブックオフに売るなら、たまには寄贈してみます。数が少ないような本なら需要はありそうですし。
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