図書館で借りました。
この本は2008年第1刷り発行とあるので、もう10年近く前のものなんですね。
人類の歴史を学ぶと決まった流れを見出すことが出来る。
発見や発明されていないものを予測するのは困難だが、現時点で輪郭が見えているもの、また人類の方向性を決定してきた秩序から、今後しばらくの世界を予測出来るのではないか。
ということで、今世紀の歴史がどのように流れていくか、幾つかの可能性を示唆する内容です。
本の前半部は市場の秩序のおさらいになっています。
未来の歴史を思考する上で、長期的な観点から歴史はこの方向に展開してきたという指針。
「いかなる時代であろうとも、人類は他の全ての価値観を差し置いて、個人の自由に最大限の価値を見出してきた」
いかなる形式であれ服従に甘受することを次第に拒否するようになり、不便を緩和する為に常にテクノロジーを発展させ、生活・政治システム・芸術・イデオロギーの自由により、個人の自由に最大限の価値を置いてきた。
他者に付与されたのと同じ自由を尊重する限りにおいて、個人には思考する、そして自らの運命を自らが司る権利があり、何事からも自由である状態を目指してきたのである。
先ず人類史を動かしてきた三つの秩序、宗教・軍事・市場から歴史の法則を見出し、それを理解する事で未来を占います。
歴史の振り返りを終え、後半で予想編に入っていきます。
<超帝国>や<超紛争>という未来が見えるが、<超民主主義>という人類が滅びずに生き延びるための境地にたどり着くことで、それを回避できる希望を持ちたい…という話だった。
<超帝国>は、市場の秩序が世界規模となり国家を超えて統一されたようなもの。グローバル化して国家の垣根を越えたような企業が巨大化し、民衆が国家よりそちらに重きを置くようなものかな。
この支配者は特に誰、ということでもないのですが、サーカス型企業、劇場型企業のスターたちで、世界で数千人という規模。クリエイターとか文化を創る人達。そういう企業や人の誘致合戦で税の便宜を図るなど、国家は収入が減り軍隊を維持できず力を失っていく。
現在の民主主義は市場に負け、ますます個人の利益と限られた狭い周囲のことしか考えなくなる。保護主義的なことはあったとしても世界的な流れには抗えない。
国家の弱体化で暴力のコントロールが難しくなってくる。征服より経済成長の方が得るものが多いことを理解した国がほとんどで平和な時代が続いていたが、市場の秩序が進み過ぎた世の中ではますます差が激しくなり、<超紛争>も起きるかもしれない。
これは現在のテロ、海賊などが地球規模で活発になるようなものに加え、台頭してきた国家の野望、巨大企業や宗教集団の思惑が争いに発展して世界規模で紛争になった状態。
そのまま人類が滅亡するシナリオがあるかもしれないし、希望としては、滅びを回避しようと考える人達から<超民主主義>が芽生えてくるかもしれない未来もある。
人類が持続的に生存するために、市場や民主主義と共存して、次第にそれを凌駕するものを世界規模で立案していかなければならない。
<超民主主義>は、市場+愛他主義というイメージか。
「知識を与えることは、知識を失うことではない。」
人類は平和を通じて互いに連帯するより他に生き延びる方法がないことを悟る。サービスを他者に供給することを快く思い、敬意、感謝の念、共に楽しむことが金銭的報酬に取って代わる。
色んなものを超越した本当の世界政府的なものが必要になる。世の中の才能や知識や富を持つ人達が、自分のことばかり考えずに他人の幸福や利益を目的として行動する。情けは人のためならずじゃないけど、そうならないと人類は滅亡する運命なのかなという感想。
最後に、
必需材=「心地よい時間」を手に入れるのに必要なこと(知識、住居、栄養、介護、職業、飲料水、大気、安全、自由、社会的公正、尊厳など)を人類全体に供給出来れば、暴力的なことは減る。
「心地よい時間を手に入れる」とは、自由に長く若々しく生きる事であり、市場の秩序にどっぷり浸かって、労働や商品の消費に追われ、焦って時間を活用することではない。
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