引きこもりの世界線


またこういうことを書いてあれなのですが、共同作業が大事だというのはわかってます。自分の苦手な分野を誰かがやってくれれば質も上がるし速度も速くなるでしょう。

ただ自分はそれをやろうとすれば可能ではあるんだけど、非常に疲れてしまうのがいけませんでしたね。RPGで例えればMPが急激に減るみたいな。

 

文明が発達する前の安全じゃない頃、そりゃあ単独行動だと獣(もしくは人間)にやられたり食料を調達できない日が続いたりで、生き延びられなかったりしたでしょう。

余裕が出来た現代だから言ってられるというのも、もちろんわかります。

 

人って多かれ少なかれ自分と同じかもしれないけど、逆に他人に命令したり動かすのが楽しいみたいな人もいるよね。

私は会社時代は一応少ない人数ながらも人に仕事を割り振らねばならず、もちろん自分だけでは出来ないから色々と考えて割り振るんだけど、そういう人に何かを命令したりお願いするみたいなのが面倒で嫌なのよ。お金を払ってサービスを受けるような直で納得済みなものはいいと思うけど。あとリーダー的なものに選ばれるのも表面的なポーズじゃなくてマジで嫌。

 

まあだからそういうタイプは人と関わる事自体が疲れるので、多分深く関わらずに生きるしかない。無理してやれないことはないですが疲れてしまって。

疲れるって気疲れだけじゃなくて、実際に頭や全体的な調子も悪くなるので、それが困るのよ。

 

若い頃は大変でも、年を取ってきたり、また慣れというのもあって、ある程度は耐性が付くのですが、しばらく別のことをやっていたりすると対し方を忘れてしまってまた一からみたいな感じもあるから、そうなるとまたあの日々の繰り返しかみたいに思ってしまうんですよね。

もちろん多かれ少なかれ皆にあると思いますけどね。まあ仕方ないよね。

 

私も今でこそこんな感じですが、48歳まではちゃんと気力を振り絞ってやっていたのですよw 税金も社会保険料もバリバリ払ってましたよ。

ただ基本がそんな感じだから、少し違えば若い頃に引きこもった世界線はあったかもです。

 

精神的に調子悪くなって地元に戻り、半年かちょっと実家にいた頃、高校の時の同級生が自分の働いている会社に来てみる?と誘ってくれたんですよね。それが社会復帰の切っ掛けではありました。(調子悪くなる前に少し東京で働いていました)

同級生には申し訳ないことに、そんなに何年も続けられなかったんだけど、そこは私のリハビリをしてくれる余裕があったんですよね。

そういう助けられたことがあるから助けたいとは思っていたし、寄付とか金銭的なことで済むならあれだけど、でも自分の面倒をようやく見るくらいまでは復活しても、人と関わって救ったりどうこうというまでは私の精神は復活しなかったんですよね。

 

申し訳ない、色々ごちゃ混ぜでわかりにくい文章かと思いますが、振り返ってみるとそんな感じでしょう。全然引きこもってもおかしくなかったし、そういう世界線もあったなと。

だから弱い立場の人にあれこれ言っている人を見ると、自分がそうなるとは微塵にも思わないらしく、全く想像力が無くて逆にすげえなと思います。

-<「思い出話」カテゴリーの他の記事もみてね >-

広告とか


-- 記事一覧ページへ --



Pocket

同じカテゴリーの記事

SNSでもご購読できます。